東京電力福島第一原発の事故後、避難警戒区域になっている浪江町の視察と研修に参加しました。
浪江焼麺太国と浪江町商工会の青年部の協力で、実現した企画。
警戒区域の中に入ると、あの日から時が止まっていました。
3月12日の読みかけの朝刊とタバコの吸殻。
大きく壊れた家・ひっくり返った車・堤防を乗り越え家や電柱で止まった舟。
「3・11あの日聞こえたたくさんの「助けて」の声。夜になり暗くて重機も使えないから「明日必ず助けにくっから」と言い残して、翌朝の6時に消防団で集合予定だったけど、翌朝の6時に、菅総理から、緊急避難の指令があり、助けに行けなかった。あの日の「助けて」の声が耳から離れない。一時帰宅が認められた1ヶ月半後の捜索はカラスなどの鳥が集まっているところから変わり果てた遺体を探す作業だった。助かる命を見殺しにした」と悔やむ町の人たち。
行方不明者の捜索は、今も消防団や警察が防護服を着て行っています。
警戒区域の中に入るには、厳重な検問とスクリーニングが必要。
視察では、500枚程度の写真を撮りました。関係写真集5冊とDVDも購入しました。宇佐市民図書館で来週から1ヶ月半位写真展示する予定です。是非、見てくださるとありがたいです。
人として何が大事なのか、おおいに考えさせられる研修でした!